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アスペルガー症候群当事者(双極性障害ぎみ、障害者枠でお仕事中)が思ったことを書くブログ。

しゃべれない子どもだった

外でしゃべれない子どもでした。

家ではしゃべりすぎるくらいしゃべるのに、よく知らない大人とは全くしゃべれませんでした。

一緒に過ごしている時間が長い大人に対しても、怖さを感じれば声が出なくなっていました。

幼稚園で、先生に怒られているときにしゃべれなくなり、謝らないというので余計怒られたことがあります。

もともとアスペルガー症候群のためにコミュニケーションにかかるコストが高いところに、恐怖を乗り越えるというストレスが重なって、支払えるエネルギーの量を超えてしまったのだろうと思います。

年とともに、コミュニケーションのコストがちょっとずつ下がってきて、多少は度胸もつき、今では日常生活で困るようなことは、そんなにありません。

ただ、店員を呼び止める時のように、一時的に大きいエネルギーを出して目立たなければいけない時は、いじめられっ子のトラウマが発動するのでちょっと大変です。

ちなみに、名前がわかるくらいに付き合いのある人の中で、私が最後までまともにしゃべれなかったのは、母親がものすごく恐れていた、父の妹でした。

なんだか、母親と自分がいかに分離できていなかったかを示しているようで、嫌な話です。

もっと怖い父方の祖母は、話すことができるようになる前に亡くなってしまいました。

彼女の葬儀で感じたことをきっかけに、父方の親戚と話すことができるようになったのですが、教養とセンスに恵まれた祖母の前で、一度も話らしい話をしたことがないのが、返す返すも残念でなりません。

いわゆる場面緘黙とは違うと思うのですが、そういえばそんなこともあったなと思い出しました。